祝祭の歌
(2019.11.11)
こんばんは、myrrhです。
11月11日。
神様とraptさんが愛を成してくださったこと、また私たちと聖三位が出会って愛を成したことを記念する日として、神様が定めて下さった祝祭の日です。
RAPT | RAPT有料記事221(2017年11月4日)主に出会って救われたことを愛と感謝でお祝いしなさい。〈11月11日の主の祝祭についての御言葉〉
RAPT | RAPT有料記事326(2018年11月10日)主が示される真の成功哲学。または、11月11日の主の祝祭についての御言葉。
一年目の11月11日、母親にキッシュを作って欲しいと頼んだら、その後に母親がraptブログを読み始めて伝道されました。
二年目の11月11日は山に行き、それまで自分が歩けなかったような距離を元気に歩くことができました。
祝祭の日はいつも不思議な恵みと悟りに満たされます。
今年の11月11日は前日に体調を崩してしまったのですが、今までよりも更に思い出深い、これまでの信仰生活の中で最高に恵みと愛を感じた一日を過ごしました。
一番印象深かったことは…と決めることは難しいほど色々なことがあったのですが、今回はこの日に合わせて準備を進めていた自作曲を弾いた話について、書かせて頂きたいと思います。
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今年の春頃から、11月11日には何か特別な演奏をしたいな、と思っていました。
特別な演奏といえば、やっぱりお客さんにも聴いてもらう演奏会。祈っていく内に、11月11日に演奏会を出来たらな…と強く思うようになりました。
そのうちに、演奏の機会をたまたま貰ったので、日程をこの日に合わせようとしていたのですがそれは結局叶わず。
では、代わりに自作曲を作ってこの日に神様に捧げたい、と考えるようになりました。
実は、小さい頃はピアノ演奏よりも作曲の方が好きでした。お遊びに毛が生えた程度でしたが、小学校の頃通っていた音楽教室で進路を聞かれた時に「作曲がやりたいです」と答えた覚えがあります。しかし、何故かそれ以降作曲をすることはありませんでした。
大学でも一年間作曲の授業はありましたが、興味が冷めてしまっていたのかあまり真面目にやっていませんでした。
しかし、神様が小さい頃の願いをもう一度復活させて下さったのか、自作の賛美歌を作りたい、という構想がいつしか湧いていました。
なので、何か思いつく度に作曲を試みていたのですが、当然ながら作りたいと思ってすぐに出来るものではありませんでした。
大概あまりの駄作、凡作、どこかで聞いたような作風に、「こんなのだめだ」と完成する前に捨ててしまうものばかり。
何故自分は完成出来ないのかなと考えた時に、自分より才能がある人に頼っている心があることに気付きました。
すごい才能を持っている人が賛美歌を作っていました。
その人の賛美歌を、私は信仰を持ち始めた時から歌っていました。
特に信仰を持って一年目は、歌う度に毎日すごい曲だなと思っていました。
その思いを罪と共に上塗りしていたからか、自分が作ったところで兄弟姉妹達に恵みを与えられるものなんて出来ない、との考えがいつの間にか心の奥底に渦巻いていたのです。
それが私の怠惰と相まって、限界にぶつかっていました。
でも今年の9月、その人が悪しきカルト宗教「全能神教会」の信者であり、raptさんの教会に侵入した工作員の一人だったことがはっきりと明らかになりました。
全能神教会のことは以下の記事で紹介されていますので、是非ご覧下さい。
【北朝鮮拉致問題は嘘だった!!】横田早紀江と拉致被害者家族のドス黒い闇。 | Kawataのブログ
いつ頃からか彼女のことをどこか変だな、おかしいな、と思っていたものの、実際に決定的な証拠をTwitterで見て、怒りで震えました。
でもその件の後、それまで私は本気で曲を作ろうと思っていなかったことをじわじわ悟るようになりました。
「天の文化・芸術」をやりたいとずっと、ずっと祈ってきたのに、私は本気で神様への気持ちを曲にしたい、兄弟姉妹達に恵みを分かち合えるものを作ろうという気がなかったのだと………
絶対にやろうと決心しなければ、本当に何事も出来ません。
しばらく経ったある時、祈りの中でメロディが聞こえてきました。
祈りの中でメロディを思いつくことは、以前にもありました。でも、大概作り続ける内に訳が分からなくなることが大半でした。
この時に書き留めたメロディは色々と経緯を辿って、曲として形になりました。
そして、当初考えていた「賛美歌」ではなく、それはピアノソロの曲になりました。
途中、自分の無能さに打ちひしがれてやめたくなったり、自分のやりたい方向に曲を持って行こうとして何度も行き詰まりました。
でも、11月11日の明け方に「神様が下さったメロディに、余計な自分のアレンジを加えるのをやめよう」と思った時に、ようやくしっくりくる完成形が見えました。
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11月11日の朝、不思議なほど明るく日の光が入ったお気に入りの練習室でその曲を練習し、夕方にもう一度同じ部屋に行きました。
ふと思いついて、演奏会のように礼をしてその曲を弾きました。
その時たまたま椅子を一つピアノの前に置いていて、まるで神様がそこに座って下さっていて演奏を聴きに来て下さっているように思えました。
弾いている時、弾き終わった時はもっと幸せで、嬉しい気持ちで一杯になりました。
アンコールのつもりでもう一回演奏しようと思って、次は部屋にあった椅子を全て並べました。
その時の不思議な感覚は、本当に忘れられません。
聖なる温かさ、肉的な目で見れば私一人しかいないのに沢山の存在がそこにいらっしゃる感じがして、それを上回る神様の愛が私に寄り添って下さっている感じがあって…
弾き終わった後、涙が出るほど幸せな恵みに満たされました。
私が当初計画したかった「祝祭の日に演奏会をしたい」という願いを、神様は一番神様と愛を交わせる形で叶えて下さったことに、その時気付きました。
初めて発表会に出た子どものような演奏でしたが、今までのどんな演奏会の時よりも幸せな時間でした。
来年はもっと沢山の曲を作って演奏したい、そう思って私は練習室を後にしました。
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実はこの時に弾いた演奏を、スマホで録音していました。
翌日聞き直したらまだ出来立てホヤホヤで技術的には不安定な演奏だったので、もし何らかの形で出すとしたらこの音源は良くないだろうと思い、後日何度も練習、録音、録画を繰り返していました。
けれど、聴き比べるとやっぱり11月11日に録音したものは何か違いました…
本当に11月11日が特別な日だったのだなと実感します。
そして、神様と愛し合って生まれた音楽こそが、この世にあるどんな音楽よりも高い次元なのだと悟りました。
私はまだまだそのような次元ではありませんが、本当に強く希望を頂きました。
心から感謝します。
なので敢えてこの音源を使い、この日に撮った写真と一緒に纏めて、この日の記念の動画を作ってみました。
【ピアノソロ】祝祭の歌
もし宜しければお聴き頂けると大変嬉しいです。
神様が下さった個性才能を、ようやく神様の為に使い始められることが本当に嬉しいです!
これから、もっと天の文化・芸術を悟って、行っていけるように頑張りたいと思います。
最後まで読んで下さり、本当にありがとうございました。
次回もお会いできることを楽しみにしております。