私と信仰の出会い

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はじめまして、myrrhと申します。

私はraptブログに出会い、信仰を持った一人です。

私の体験したことがこの世の中の誰か一人にでも良いものとして届けば、と思い、綴らせて頂きます。

長くなりますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。

皆様に神様の祝福がありますように。

 

 

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私はピアノをやっています。

母がピアノの先生だったこともあり、気がついたら音楽に触れている生活を送っていました。

あまり自分の人生について考えたことがなく、親やピアノの先生、また学校から提示される道を選んで生きてきました。

多少の疑問は抱きつつも、それ以外の道を見出すことが考えられなかったからです。

なので、演奏家になったり、自分の学んで来たことを教えたりといった職業的な夢は持っていましたが、自分自身が音楽をやる意義についての明確な答えを持っておらず、常に心のどこかでそのアイデンティティを求めていました。


随分と長い間「人から認められたい」との思いに苦しみました。

今でも、その思いが顔を出すことがあります。

競争社会だった音高、音大、また完全に順位をつける為の存在のコンクールにて、本当はいけないと思いつつも、いつも周囲の人間に対して注意を張り巡らせて生きていました。

自分の音楽に集中しなければいけない時に他人のことを気にする自分を、何とか排除しようと必死でした。

けれど、少しいい結果が出たり、いい演奏ができたりすれば浮かれてしまい、逆に悪い結果や良くない演奏になってしまった時は、言い知れないほど落ち込んだりして、結局「他人からの評価」に一喜一憂する生き方をしていました。


私がピアノと向き合うことに対して初めて大きく壁に当たったのは、大学4年生になった時でした。

私は大学院に進むことを希望していたのですが、4月頃から手の不調を感じ、数週間後には完全に右手が使い物にならなくなったのです。

めきめきと実力を発揮していく同級生達を横目に、私は「ピアノを弾くな」との先生の忠言に従って治療を開始しました。

ほぼ自分の行先が絶望的に思えました。

ですが、一度立ち止まることで、これまでの自分自身のピアノの弾き方が無茶な体の使い方であったことに気付きました。また「認められたい」というエゴのままに重ねてきた努力が、自分の目指してきた本来の音楽のあり方からかけ離れていたことに、じわじわと思い当たるようになりました。

ピアノが弾けることは当たり前でない、そんな単純なこともこれまでの私は分かっておらず、ただ盲目にピアノを弾き続けていたことに気付きました。


自分は間違っていた。

だから、ピアノが弾けなくなったんだ。


一時はもうこの道を諦めようとまで思っていましたが、このことに気付いた時、腕の良い整体師の先生に巡り会い、私の手は完治に向かいました。

今となっては、神様が働いて下さったのだとしか思えません。

しかし、当時の私はこの奇跡に驚嘆したものの、私の進路は空白のままであることに焦りました。

どうしよう、と思っている時に導かれたのが、今いる大学院でした。

私は浪人を決意しました。

ここでピアノを学ぶことを諦めたくない、まだ自分の中で答えが出ていない、という気持ちに、家族が理解を示してくれました。


また、私は丁度手を壊す前辺りから陰謀論に出会って、この世の中がおかしいと本気で思うようになりました。

そして、一年間の浪人期間中にラプト理論に出会い、世の中に対して抱いてきた疑問をことごとく解消して下さったことに、大きな衝撃を受けました。

 

 

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大学院に入学した私は、「新しくなるんだ」という思いで日々練習に励むことになりました。

しかし、人数も多くない環境、また寮生活ということもあり人との距離感も難しく、また友人同士の板挟みに合ったりと、人間関係に非常に苦しむことになりました。

為すべき課題の多さとレベルの高さ、比例する練習量に加えた日常の問題に私は次第に疲れ切っていきました。

この学校で生きていくには、自分の力では無理だと思いました。

その時に、ふとraptブログの有料記事のことを思い出しました。

私はかつて自己啓発やスピリチュアル系などを読んでいましたが、決まってそれらの語ることに辟易して離れてきた人間でした。

けれど、イルミナティの秘密を暴いて(しかも自己啓発悪魔崇拝であったことも暴かれた)、私のかねてからの世の中への疑問を解消して下さったこの方が言われていることなら、読んでみたい…

そう思って、購入を決めました。


そこで語られていた、人生の生き方と聖書について。

私の通っていた大学はキリスト教系だったのですが、学校の講義では話半分しか聞いていなかった聖書が、こんなにも「深い」書物であったことに、わくわくとした気持ちが湧いてきました。

更にラプトさんが普段どのようなことを祈っているのか、その言葉を読んだ時に「こんなにも本気で世界を変えようとしておられる方が、この世におられた…」と、心を正された気持ちになりました。


私は「祈り」について興味を持ち、はっきりと信仰は持っていないながらも、寝る前に少しだけ祈ってみることにしました。

大きなきっかけとして、その時にたまたま緊急で頼まれていたリサイタルの伴奏者の仕事内容が非常に重く、またその付近に様々な行事があった為、自分の手では到底このスケジュールを乗り越えられないと途方に暮れていたことがありました。

今のままでは無理だけど、祈れば何とかなるかもしれない。

半分ダメ元だったと思います。それでもやってみました。

しかし、信仰も持っていない私の小さな祈りを、神様は叶えて下さいました。


当時の私は必死すぎてきちんと意識はしていませんでしたが、有益なことを次々と思いつくようになりました。

まず、練習時間と肉体の休養のバランスを取らなければリサイタルの日まで自分が持たないことに気付き、効率よく練習するにはどうしたら良いかが次々と分かるようになりました。

また、一回一回の合わせの中でどのような点を汲み取っていけば良いかも、自然と察知していくようになりました。

練習で疲れ切った体の癒し方も、悟らせて下さいました。


そして、自分自身の反省点は多くありましたが、このリサイタルを乗り越えて得た成功と経験は、初めて「自分の限界を突破した」とはっきり感じるものになりました。

本当にひとときの出来事でしたが、「祈りには本当に力がある」ということを、体感した瞬間でした。


そして、少し落ち着いてから私はこう考えるようになりました。


「祈り」を教えてくださったこの方は、本当に神様の力を受けておられるに違いない…!


自分の生きていた世界に「神様」の存在が現れた出来事でした。

 

 

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このリサイタルの後、別の伴奏の仕事の為に地元に帰ってきている時。

私は急に、最近の有料記事を読まなければいけないという思いに囚われて、その時の最新のものであった2017年10月の有料記事を読み始めました。


その中で、私が今まで歩んできた道に対して、答えを与えてくださった記事がありました。

 

VOL.216 神様に頼らない者は一しか与えられず、神様に頼る者は無限に与えられる。

http://rapt-neo.com/?p=45453


この記事を読んだ時、手の故障を経験した時に自分の間違いに気付き、道を間違えずに済んだことが、罪の悔い改めと許しだったことにはっきりと気付きました。


そして、この世の中の真実を本気で探していたから、ラプト理論を通して真実・真理を与えられたのだ、ということもはっきりと確信しました。


そして、自分が今ピアノを弾けていられることも、


手の故障によって立ち止まれたことも、


大学院に来たことで自分の無力さに気付いて本気で救いを求めたことも、

 

祈ったら助けてもらえたことも、


音楽を学ぶ環境を与えられ続けてきたことも、


それを許してくれた両親の元に生きていることも、


今生きていることも、


何もかも全て、神様が私を導いてきて下さり、与えて下さったものなのだと分かりました。


神様が、自分の人生の中にずっといて下さったのだ、と悟りました。


あまりにも当たり前のように側にあった事実に、深い感謝と喜びが溢れました。

こんなにすごいことがあるのだろうかと、感激しました。


この日から、私の信仰生活が始まりました。

 

 


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証を書こうとしてから、随分と時間がかかってしまいました。


自分の歩いてきた道を文章にするにあたって多くの気付きを頂き、更に沢山の罪にも気付きました。

またこの時、間違いも多く犯しました。


自分の中にはまだまだ罪があるし、弱さも、高慢も、慢心も、プライドも、いつの間にかすぐに現れます。

これらを心の中に持っている時は本当に苦しく、すぐに道を見失ってしまいます。


また自分の行いに熱中することで、気付けば自分自身の抱く考えや思いで頭が一杯になってしまい、神様を遠く感じることも多くありました。


あまりにも小さくて惨めな私を、神様はそれでも救ってくださり、常に愛で導いてくださいます。


許されるなら神様の為に、与えられた音楽を使って生きていきたい。

一生、神様に恩返しする生き方がしたい。


そう思った時に、私がこれまで失っていた音楽をやる意義や、これからの夢すらも神様は与えてくださいました。


神様に、神様に出会わせて下さったraptさんに、本当に感謝しています。

 

 

 

拙い文章ですが、最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

皆様に恵みが満ち溢れますことをお祈り致します。

 

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